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堀江 敏幸
新潮社
¥ 460
(2009-02)
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2年ぶりに記事を書く。
「本を読むことは、自分を慰めることだ」という言葉がずっと引っかかっていて
(確か内田樹の言葉だった気がする)
読書感想を書くと言うことの意義が分からなくなっていた。
ひとつ前の記事以降、出会った数冊の本に「救われた」と感じる経験をした。
言葉の力って、すごいなと思うと共に、「本を読む=自分を慰める」の謂いを
自ら実感することになってしまって、それきり感想文を書く気になれなかったのだ。
でも先日、
「確かにそうかも知れないけれど、本を読むと言うことは、言葉を獲得すると言うことだから」
と諭される機会があり、「もう一度、始めてみようかな」と思う契機を頂き。
諭してくれた方は、ひどく酔っておられたのだけど。笑
獲得した言葉は、応用しなければ錆び付いてしまう。
書く端から、言葉が陳腐になっていったとしても。
慰めてくれた本は本で、大切に脇に避けておいて、
ここではもう一度、少しずつ読書感想を綴ってゆこうと思う。
リスタートにあたって、ブログ名、リンクなど一新させて頂いた。
どの程度の更新ペースになるか分からないけれど、
時々覗きに来て頂ければ望外の喜び。
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さてさて
堀江敏幸『おぱらばん』読了。
フランスの土地と、東京の土地とを行き来しながら描く、
主人公の奇妙な体験と、それにリンクするフランス文学を描く短編集。
柔らかいながらも呼吸の長いワンセンテンスが特徴的な筆者。
不思議と煩わしさは感じなく、むしろ奇妙な中毒性のある彼の文章に、
ひたひたと浸れる、いい作品集だった。
「床屋嫌いのパンセ」、「音の環」、
「貯水池のステンドグラス」、「ボトルシップを燃やす」が良かった。
主人公はみな「私」。どこまでがノンフィクションでどこまでがフィクションなのか、
読者にとっては判然としない白昼夢のような短編たち。
例えば、寝たきりの祖父の耳に響いていたであろう音から連想して
ジョルジュ・シムノン『ビセートルの環』を紹介したり、
アパートの賃貸契約を巡って、ディディエ・デナンクス『手数料なしで貸します』
を想起したり。
紹介されたフランス文学は、一部翻訳されていないものもあって、
好奇心をかき立てられる。
そのなかでも特に、個人的に興味を持ったのは
「貯水池のステンドグラス」に登場したゲラシム・リュカという詩人。
私は創りださざるをえないのだ
移動の
呼吸の
存在の仕方を
空気でも、土でも、火でも
水でもない世界の中で
泳ぐべきか
飛ぶべきか、歩くべきか、あるいは燃えるべきか
あらかじめそれをどう知ったらいいのだろう (P113,114)言語遊戯の気が強い、どもりの詩人の自死を経て、
出会い直しをする体験が語られている「貯水池のステンドグラス」。
読み手は「私」とともに、
初対面のはずのリュカを既に一度知っていて、
「私」と同じように出会い直しをしているような錯覚に陥る。
そうして、詩人が見詰めていたものを味わい直し、ため息をつくのだ。
ちくしょう、上手いな。上手く嵌められた気がする。
長い長いワンセンテンスでも、決して鬱陶しくないのは、
文学と体験を結ぶ、彼にしか語れない言葉の糸がとても繊細で、
一本に筋が通っているからだと思う。
一見、社会的に不安定な「私」は、実は恐らく不安定ではなく
『河岸忘日抄』の「私」のように、停泊しているわけではなく
なんというか、惹かれる。
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読書感想文、今まで以上に拙くなっているような気が。
こんな調子でやっていけるだろうか。
それでも、思ったことを書き留めるくらいで、いいか。
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