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エドモン・ロスタン 『シラノ・ド・ベルジュラック』
久しぶりに何も考えずに、本を読んで涙ぐんだ。
これは、とても良かった。

実は、読もうと思った切っ掛けはあるマンガ。
「君には難しいと言ったのはね、これは孤独の物語だからだよ。
君、孤独を知っているかい?」
という、この中世フランスが舞台の戯曲を紹介する印象的なセリフにつられて、
タイトルとおぼろげなあらすじしか知らなかったこの戯曲を読んでみようと思った。

確かに、醜さゆえに恋を諦め、美男子の恋敵を応援する彼は
決して美貌のマドンナの愛を得られない孤独な男だ。
でも、それは、生半可な覚悟ではなかった、決してなかった。

辛いことを「辛い」と言わないことは、ちょっと理性のある大人ならできる。
しかし忍耐をする不仕合わせに悦しないことは、生半可な覚悟では出来ない。

孤独であることは、勲章のように誇示するものではない。
シラノが胸に抱きながら、ついに守りながら死んでいったように、
目に見えない羽根飾りであるべきものではないか、と思わされた。

孤独の心意気、それは覚悟。

  それで宜い、俺の生涯は人に糧を与えて――自らは忘れられる生涯なのだ! (P292)

シラノの周りの主要人物のだれも、芯から愚かな人間が居なかったのも
この戯曲の特徴ではないかと思う。
勿論、物語上、小物として描かれる人物は居るのだが。

シラノが手を貸す、ばかな美丈夫も、
恋の相手のマドンナも、
当て馬役の上官も、
みんなそれぞれに人間味あふれる浮き沈み、思い悩みを繰り返している。
その生々しさ、単純な一本筋ではないリアルさが、魅力的。

またひとつの魅力は、真情を込めて送る言葉の、真摯なこと。
大げさな弁舌は、決して虚言に非ず。
人の心を動かす言葉の力にも目を開かされる一作。

切っ掛けはともあれ、読めて良かったな。
機会があれば、舞台も観てみたい。
翻訳 | comments(34) | -
堀江敏幸 『おぱらばん』
2年ぶりに記事を書く。

 「本を読むことは、自分を慰めることだ」という言葉がずっと引っかかっていて
(確か内田樹の言葉だった気がする)
読書感想を書くと言うことの意義が分からなくなっていた。

ひとつ前の記事以降、出会った数冊の本に「救われた」と感じる経験をした。
言葉の力って、すごいなと思うと共に、「本を読む=自分を慰める」の謂いを
自ら実感することになってしまって、それきり感想文を書く気になれなかったのだ。

でも先日、
「確かにそうかも知れないけれど、本を読むと言うことは、言葉を獲得すると言うことだから」
と諭される機会があり、「もう一度、始めてみようかな」と思う契機を頂き。
諭してくれた方は、ひどく酔っておられたのだけど。笑

獲得した言葉は、応用しなければ錆び付いてしまう。
書く端から、言葉が陳腐になっていったとしても。

慰めてくれた本は本で、大切に脇に避けておいて、
ここではもう一度、少しずつ読書感想を綴ってゆこうと思う。
リスタートにあたって、ブログ名、リンクなど一新させて頂いた。
どの程度の更新ペースになるか分からないけれど、
時々覗きに来て頂ければ望外の喜び。

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さてさて

堀江敏幸『おぱらばん』読了。
フランスの土地と、東京の土地とを行き来しながら描く、
主人公の奇妙な体験と、それにリンクするフランス文学を描く短編集。

柔らかいながらも呼吸の長いワンセンテンスが特徴的な筆者。
不思議と煩わしさは感じなく、むしろ奇妙な中毒性のある彼の文章に、
ひたひたと浸れる、いい作品集だった。

「床屋嫌いのパンセ」、「音の環」、
「貯水池のステンドグラス」、「ボトルシップを燃やす」が良かった。

主人公はみな「私」。どこまでがノンフィクションでどこまでがフィクションなのか、
読者にとっては判然としない白昼夢のような短編たち。

例えば、寝たきりの祖父の耳に響いていたであろう音から連想して
ジョルジュ・シムノン『ビセートルの環』を紹介したり、
アパートの賃貸契約を巡って、ディディエ・デナンクス『手数料なしで貸します』
を想起したり。

紹介されたフランス文学は、一部翻訳されていないものもあって、
好奇心をかき立てられる。

そのなかでも特に、個人的に興味を持ったのは
「貯水池のステンドグラス」に登場したゲラシム・リュカという詩人。

  私は創りださざるをえないのだ
  移動の
  呼吸の
  存在の仕方を

  空気でも、土でも、火でも
  水でもない世界の中で
  泳ぐべきか
  飛ぶべきか、歩くべきか、あるいは燃えるべきか
  あらかじめそれをどう知ったらいいのだろう     (P113,114)


言語遊戯の気が強い、どもりの詩人の自死を経て、
出会い直しをする体験が語られている「貯水池のステンドグラス」。

読み手は「私」とともに、
初対面のはずのリュカを既に一度知っていて、
「私」と同じように出会い直しをしているような錯覚に陥る。
そうして、詩人が見詰めていたものを味わい直し、ため息をつくのだ。
ちくしょう、上手いな。上手く嵌められた気がする。

長い長いワンセンテンスでも、決して鬱陶しくないのは、
文学と体験を結ぶ、彼にしか語れない言葉の糸がとても繊細で、
一本に筋が通っているからだと思う。

一見、社会的に不安定な「私」は、実は恐らく不安定ではなく
『河岸忘日抄』の「私」のように、停泊しているわけではなく

なんというか、惹かれる。

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読書感想文、今まで以上に拙くなっているような気が。
こんな調子でやっていけるだろうか。
それでも、思ったことを書き留めるくらいで、いいか。
現代文学 | comments(0) | -
ルソー 『社会契約論』
image.jpg

『人間不平等起源論』のなかで「自然状態」が理想なのだと説いていたルソーが、
一体どういうつもりで「社会状態」について書いたのかがすごく引っかかっていたのだが
解説を読むとちょっと納得した。

  『社会契約論』の課題は「社会状態」のこの(「自然状態」との)ズレを
  どうすれば「正当なものとなしうるか」という点にあったことを
  読み取ることができる。
  「市民の世界」すなわち社会状態の下での「正当で確実な政治上の法則」はなにか、
  これが本書の解こうとした問題であった。  (解説)


立法、政府の形態、国家の体制というテーマに沿って、
なにがより「理想的な」形(心構え)であるのかをひとつひとつハッキリさせてゆく、
という印象だった。

以前内田樹さんの著書の中で、
「政治に対して無責任に批判だけすることを許された立場がひとつだけある、それは
子供だ」
という言葉を読んだことがある。
「だから子供には参政権がないのだ」という。

なんだか改めて考えてみると、参政権をもつまでに、
きちんとした判断のものさしを育んでこれなかったような気がしている。
自分の意思がどういう重みを持つのかっていうことについて無知だったような。

じゃあどうすれば、判断力をつけることができるかって……
子供のうちに、判断のものさしの下地を作って行くことが必要かな、と考える。
いろんな情報を見聞き読みして、感じたこと考えたことを、活かしてゆくことが
無責任にならずに済むことかな、などと思ったり。
そのためには、いろいろな情報に触れることが必要。

今更こんなことに気付いたって、本当情けないことだ。

口先だけの意欲はいらない。
実際に、大人になってから本当に活かして行くことができるような意思が要るんだ。

ルソー 『社会契約論』 岩波文庫 青623-3 1954年
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